2019年のぼんやりとした目標

本日は元旦。ということで、2019年にやりたいと思っていることを書き記しておこうと思います。

  • まじめに工作
  • 運動1日300kcal
  • 週に1度は温泉
  • 図書館に通う 
  • ブログの継続

 

まじめに工作

2018年、時間ができたのでコンペに挑戦しました。

www.pdsa2018.com

年末に表彰式があったはずなのに呼ばれなかったので、まぁ落選したということなんですが、久しぶりの本気の工作はめちゃくちゃ楽しかったです。

10日の間に、アイデアを出し、模型を作り、撮影し、プレゼンシートを作成するという、怒涛のスケジュールでしたが、アドレナリンが出まくっているのを感じました。

…生きてる~!

製品デザインを専攻し、課題漬けの日々を過ごした、大学時代の感覚を思い出しました。

大学の4年間で無駄にこだわったのは、ブラックボックスの模型を作らないこと。つまり、ちゃんと動いて機能する模型を作り続けました。

スタイリングを考えるよりも、工作をしているときの方が楽しかったです。

クラスメイトにも「デザイナーっていうより、工作の凄い人」と言われていました。

デザイン科を卒業したので、一応デザインをするつもりで就職しましたが、なんとなく肌に合わずに、だんだんと設計や企画といった業務にシフトしていっていたのも必然だったと思います。

仕事上の業務だと、設計も企画もパソコン作業で済んでしまうことが多いのですが、やっぱり自分で手を動かして、作りながら考えるのが好きだなぁと実感しました。

仕事につながるかは分かりませんが、取り組んでみたいテーマもみつけたので、2019年は気負わずに工作を楽しんでいきたいと思います。

 

運動1日300kcal

これは、ずっと気持ちの片隅に置いている目標なんですが、なかなか継続できていないので再掲。

www.asken.jp

ちょっと本気でダイエットをしていた時に、「あすけん」というアプリを使って摂取カロリーや運動量を記録していました。

私の基礎代謝から逆算すると、1日300kcalぐらい動けば健康的な体を保てるそうです。

300kcalの運動とは、すなわち…

  • ランニング30分
  • 歩行110分
  • カラオケ160分

いろいろ組み合わせるので、3時間歌いっぱなしということはないですが、ポチポチ記録しながら運動を継続していきたいなぁと思います。


週に1度は温泉

乾燥肌&ニキビ体質で、冬は特に保湿が欠かせないのですが、昨年、旅行先でとある温泉に入ったら、自分の肌じゃないみたいにしっとりとして感激しました。

泉質を調べてみると、「アルカリ性単純温泉」。

よくあるタイプの泉質だそうですが、効能は一週間程実感できました。

温泉パワーすごい!

いままで漠然と「温泉気持ちいいな~」ぐらいにしか思っていなかったのですが、ちょっと本気で温泉と向き合ってみたくなりました。

この温泉は遠いところにあるので頻繁に通うことはできませんが、私の家から車で行ける範囲にも温泉はたくさんあるので、マイベスト温泉をみつけて通い詰めたいと思います。


図書館に通う

去年の秋に試験勉強をしたのがきっかけで、図書館に通うようになりました。

図書館に通うのは小学生ぶりで、当時は2週間で5冊読むような本の虫でした。年間で130冊読んでいた計算になります。

学生時代は借りたい本が貸し出し中のことも多く、図書館から足が遠のきましたが、図書館に行くと、薄い興味しかなかった本もなんとなく借りるし、読み進めてつまらなかった本は躊躇なく読むのをやめられるし、浅く広くいろんなことを知る導入としては効率がいいなと改めて思いました。

 

ブログの継続

昨年、安易に始めたこのブログですが、思いがけないところで良い影響が出ています。

  • 文章を書くスピードが少し早くなった
  • なんとなくでしか理解できていなかったことを調べなおすようになった
  • 興味の裾野が広がり、話の引き出しが増えた

年末はちょっとバタバタして中断していましたが、2019年もできる範囲で続けていきたいです。

今年もよろしくお願いします。

祖母の話

祖母が亡くなりました。93歳でした。

1年程前から病院と施設を行ったり来たりしていて、自宅には戻って来れない状態でした。

それでも、亡くなる一週間前までごはんは食べられていたし、死の直前まで意思の疎通もできていたそうです。

最期は子供たちに見守られる中、安らかに息を引き取りました。

 

祖母の青春時代は戦争と共にありました。

女学校では竹槍を持って敵兵を討つ訓練をしたり、「おバケツお回しあそばせ!」と言いながらバケツリレーの練習をしたり。戦地から届いた手紙を配る手伝いもしたそうです。

短大卒業するとすぐに、満州から帰国した軍人さんと、会って四日で見合い結婚

戦争真っただ中で物資も少なく、いろんなものをかき集めて式を執り行ったそうです。

新婚時代の話と言えば空襲のことばかり。焼夷弾が降り注ぐ中、逃げ回ったこともあったとか。

結婚から数年して終戦を迎え、軍人だった祖父は職を失いました。

自衛隊が発足するまでの数年は、祖母の実家で家業の手伝いをしながら細々と暮らしていたそうです。

 

何から何まで今では想像できないような世界です。

戦争という先が見えない不安定な状況でも、子供を産み育て、希望をもって生活していたんだろうなぁと思います。

「会って四日で結婚」というのは衝撃でしたが、お互いを認め合っている夫婦だったと思います。苦楽を共にし、74年も添い遂げるというのはなかなか真似できることではありません。私はおじいちゃん子なので、あんな旦那さんと結婚できた祖母が羨ましいです。

 

祖母とはずっと離れて暮らしていましたが、ここ数年だけ近所に住んでいました。

認知症がだいぶ進行していましたが、ごくたまにピントが合うというか、意識がはっきりしている時があり、そういう時は祖母と楽しく長話をしました。60近く年齢は離れているけれど、まるで女子会みたいな雰囲気で2人で話し込みました。

ある時、祖父との馴れ初めを聞いたことがありました。「惚れたんだか惚れられたんだかね!」と嬉しそうに笑って、詳しいことは教えてもらえませんでしたが、二人はいい関係なんだなぁとニヤニヤしてしまいました。

祖母は、いつも私に「いい人はいないの?そろそろ結婚しないとね。誰か紹介しようか?」と言ってくれました。でも、祖母が紹介できる人は若くても60代なので遠慮させてもらいました。私が彼氏と別れた時は「きっと、もっといい人がみつかるよ。」と励ましてもくれました。

認知症だから、全部忘れちゃうんですけどね。

でも、私の中で一番心に残っている祖母の姿は、その女子会の時の祖母です。

 

いつか、私が向こうの世界に行ったら、また祖母とお茶を飲みながらゆっくり現世の話をしたいと思います。いろんな苦楽を笑い話にして、少しでも面白がってもらえたらいいなぁと思います。

 

おばあちゃん、お疲れさまでした。

 

獣になってみた私の話

『獣になれない私たち』というドラマの最終回を見終えました。

www.ntv.co.jp

獣になれず、人にいいようにされてしまう人々の描写がとてもリアルで、会社でよくある不満ネタが満載のドラマでした。第一話から感情移入しすぎて見ているのが辛くなるほど。最後、どういう風にまとめていくのかをずっと楽しみにしていました。

詳細は省きますが、最終回で主人公の女性は自分を殺して働き続けることにNO!を突き付け、退職を選びました。

やっぱりそうなっちゃうのか…。

別の解決方法があったりしないか少し期待していました。残念に思いながらも、主人公のこれからが明るく見える終わり方には希望を感じました。

 

『けもなれ』のその後?

かくいう私も、最近勤めていた会社を退職しました。状況は違えど、会社を辞めた理由はこのドラマの主人公とよく似ていたと思います。

大きい声で怒鳴りつけて社員を思い通りに動かそうとする社長、上司の思い付きで増えていく業務、業務をアウトソーシングしてくる同僚、職業的倫理観の合わない仕事をこなす日々…。

私もけもなれの主人公のように上司の説得を試みましたが、上司はよかれと思って私にそういった仕事を任せている節があり、認識の溝を埋めることはできませんでした。

結果、私も自己都合での退職を選択しました。

…私の場合は付き合っていた彼氏ともうまくいかなくなりました。

 

ドラマの中で、主人公は元カレに、「失業手当をもらってゆっくり考える」と言っています。自己都合の退職だと給付制限が3ヶ月あって、そのあと受給期間が3ヶ月なので、この言葉は暗に半年以上ゆっくり考える…ということを意味しています。

私は退職して現在3ヶ月です。転職活動を緩く続けていますが、なかなか働きたいと思う職場もみつけられないし、みつけたと思っても、思いが一方通行で採用には至らず、長いトンネルの中にいるような気持ちです。

まだ3ヶ月!と思える日もありますし、もう3ヶ月か…と焦る日もあります。

強気…ではなかったですが、納得して退職を選んだのに、その後の現実もしんどくて気持ちがふわふわしているのです。

 

退職してからの私のtweetを振り返ってみます。

これは、退職して割とすぐの頃。今思うと、ハローワークの人の価値観を押し付けられて無駄に辛くなっていました。

 

今まで悔しかったけど言い返せなかった思いが噴出していた頃。そんな人たちは私の人生から遠ざければいいんだと思います。

 

自分の考えが整理できなくて、それでも答えをみつけたいと焦っている時。自分の未来像が思い描けていないから人の評価に振り回されて疲れてしまっています。

 

ずっとクヨクヨしているわけではないんですが、気持ちに波があって、他者の中の自分に気持ちをかき乱されています。なんとなく目標が持てているときは落ち着きを取り戻したりもしますが、どうしたらいいのか分からなくなるとまた不安になっていきます。

 

不安が続くと、気持ちが弱ってくるんですよね。

 

このままじゃだめだって思わないで今の自分も肯定できたらいいなぁと思います。

 

最近は、不安が不安を呼んでしまって、この状況から逃げ出したくて焦っています。

自分の価値を自分で決められたら、いまの無職の自分も肯定できるのかもしれません。実際、貯金もありますし、住むところもあります。明日のごはんに困っているわけでもありません。立ち止まっても大丈夫な状況なんです。

ただ、自分で立ち止まっている状況を許せていないんです。

私は弱いので、人の意見に傷ついたり、悩んだりもします。そして、悩まなくてもいいことで頭がいっぱいになって、自分のCPUを無駄に使ってしまっているような気がします。…不毛。

不安に振り回されて、自分で苦しくなってしまって、なにをやってるんだろうなって思うこともあります。せっかく手に入れた選択の自由なんだから、もっとのびのびと堂々と立ち止まればいいのに。

 

これからの自分へ

明日私が死んでしまうとして、心残りなのはきっとこれです。

(あ、結婚もしたいです…)

 

いままで仕事ではミスマッチばかりしてきたと思います。

環境と自分が合っていなかったとしても、自分を殺さずに折り合いをつけていけるようになりたいし、私だって働く場所を選ぶよ!という強気の気持ちを持っていきたい思います。

 

周りの意見は厳しいこともあります。

「あなたに選べるのはこの程度だよ?」とか、「早く次を決めないともっと選べなくなるよ?」とか、いろいろと囁いてきます。

それはもう、クソバイスだと割り切って聞き流していくしかありません。

gadus-liver.hatenablog.com

 そうやって、私の自信を奪うような他者の言葉に耳を貸してはいけないのです。

私は、自分の気持ちと向き合って、これからの自分が幸せになることを一番に考えていきたいです。

「こうすべき」とか、世間のレッテルに惑わされず、いつでもどーんと構えていきたいです。こういう気持ちを持てた時のことを忘れずに、自分を大切にしていきたいなぁと思いました。

クソバイスの話

最近、悩みごとが多くて、ついボヤいてしまうのですが、

そういうことを人前で言ってしまうと「クソバイスをいただくこともしばしば。

クソバイスってどう意味なのかというと…

クソのようなアドバイスのこと。イラストエッセイストの犬山紙子によって作られた語。 

クソバイスは、「早く結婚したほうがいいよ」のように、良かれと思って発言した言葉持論が、相手にはどうでもいいこと、あるいは、余計なお世話事情知らずにと捉われてしまうようなアドバイスを指す。

 だそうです。

まぁ、お節介な人が多いということなんですよね。アドバイスをして自分が気持ちよくなりたいのかな?って思ってしまいます。

私もTwitterクソリプしてしまうので、ブーメランでもあるのですが…。

 

勤めていた時は、会社の上司や先輩にもよくクソバイスいただいてましたが、

「ほんとそうですね~!○○さんて本当に人の事をよく見ていますよね。本とか出せば売れるんじゃないですか~?」

などと、クソバイスを肯定して無邪気に相手の話にもっていくと、だいたいの相手はすごすごと去っていきました。

私のこと、めんどくさいと思ったんでしょうね…。

クソバイスを早く終わらせたい場合には有効な手段だと思います。

 

クソバイスの対処方法を調べていたら、「クソバイス返し」というキーワードも出てきました。

ddnavi.com

~『言ってはいけないクソバイス』より~
 犬山さんお気に入りのクソバイス&クソバイス返し
「女の子はいつも笑顔でいなくちゃ。すぐに怒っちゃダメ」
→「◯○さん! その格言良いですね! Twitterに投稿しましょう!」

ここでもポジティブな切り返し方が紹介されていて、私の経験とも合致しています。

 

そもそもあんまり好きじゃない相手だったり、立場を勘違いしているような人なら上記の対処法でいいのですが、なかに、

「本当に私のことを考えてくれているんだけど、助言しようとして見当違いの事を言っている」

という人もいるんですよね。

愚痴っぽくなっている私の味方になってくれようとする稀有な存在です。大事にしたいのですが、見当違いなアドバイスを聞いているとこちらもだんだんと疲れてきてしまいます。

最近そんなすれ違いが続いています。

 

クソバイス発生の起源

クソバイスをしてしまう人って、悪い人ではないと思うんですよね。

ちょっと、発言の内容やタイミングがズレているだけで、人に何かをしてあげたいという奉仕の精神の人だと思います。

良かれと思って言ったことがクソバイスになってしまうのは悲しいですよね。

なぜ、クソバイスが生まれてしまうのか、私の経験からクソバイザー目線で考えてみました。

 

  • 困ってそうな人がいる(相談はされていない)

    ↓

  • 役に立ちたい!

    ↓

  • 何か言えることがないか考える

   自分の経験をもとに、アドバイスする(←まだいい)

   自分の経験を話して自分語りモードに入る(←黙って欲しい)

   自分の経験がないことなので、一般論を言う(←知ってる)

   自分の経験がないことだけど、推測でアドバイスする(←だまれ)

 

こんな所じゃないでしょうか。

まず、「困ってそうな人がいる」のところで既にすれ違いが始まっています。

クソバイザー(以下、バイザー)が、「あの人、困ってそうだな」と思えばストーリーは始まってしまうのです。

相手が相談してきたわけでもなく、アドバイスを求めたわけでもなく、なんなら事情を話す気すらなかったとしても、バイザーの心が動いてしまえばクソバイスは始まってしまうのです。

 

次に、「役に立ちたい!」ですが、この気持ちがあるから、バイザーは相手の為に言ってあげているという強力な動機を持っており、自分の行為が迷惑がられているなどとは微塵も感じないのだと思います。

「役に立つことであれば相手の気持ちを考えなくても言って良い」という免罪符にはならないと思うのですが、「役に立っている」という感覚は気持ちいいので、ついクソバイスをしてしまうのだと思います。

 

最後に「何か言えることを考える」ですが、最初から意見を求められているわけではないので、何も意見を言わないのが正解なんじゃないかと思います。

話を聞いて、共感なり、理解している旨を相手に伝えれば、コミュニケーションとして充分。

自分の経験に照らし合わせて「このことは知っておいた方がいいと思うな」というポイントを相手に伝えるならば、それはアドバイスだと思います。相手の役にも立つかもしれません。ただ、それも、方向性を間違えると、自分の価値感を相手に押し付けるだけの一方的なコミュニケーションになってしまうのでクソバイスと認識されるでしょう。

経験がないことはアドバイスできないと思います。

 

大事に思っている相手からクソバイスを貰ってしまうのは結構困ります。

反論すると相手を傷つけそうだし、だからと言ってその言葉を受け入れたくもないし。

クソバイスを受けると、受け手の気持ちは消耗します。できれば、

「私の事を思って言ってくれてるんだ、ありがとう。でも、その言葉はいらない。」

と、気持ちだけ受け取って、そっと蓋をしておきたいものです。

 

 

そして、いつか、自分が悩みを乗り越えた時に、「あの時くれたアドバイス、めっちゃくクソバイスだったよ!」とネタにできたらいいなと思うのです。

上海ハニーの話

この間、男女数人で呑んでいる時に

「男性が女性を買うことを話題にするのはどう思う?」と聞かれました。

性風俗産業に限らず、水商売も含んでいるニュアンスです。

私としては、女性の前で積極的にその話をするのはどうかと思うけれど、そういう世界もあるのは理解しているし、お金を払うのは自由なんじゃない?というスタンスです。

お互いに合意してそういった産業がなりたっているのだから、事情を何も分からない外野が意見することじゃないかなぁとは思っています。

 

 

中国のカラオケ屋さん

仕事で中国に出張に行った時のこと。

二次会で、女の子がいるカラオケ店に連れていかれたことがありました。

カラオケをしていたのでスナックだと思い込んでいましたが、なんのお店だったのか改めて調べてみると「日式KTV」という物でした。

…どうやらキャバクラだったようです。

入店すると、女の子達が15人ほど並んで出迎えてくれ、上司達が順番にお気に入りの子を指名をしていきました。

完全にひいてしまって固まっていると、私も指名をするように促され、女の子達にとても失礼な気がしながら、かなり迷って、一番年齢が高そうなお姉さんを選びました。

年上の人なら、この場での立ち振る舞いに困っている私をリードしてくれ、私の恥ずかしさを緩和してくれるかなぁと思ったんです。

しかし、お姉さんは日本語が全く話せず、私とデュエットすることもできず、結果としては、困っている女性が二人に増えただけでした。

デレデレとしている上司達を前に絶望した気持ちでトイレに行くとお姉さんが付いてきてくれ、困った笑顔でおしぼりを渡してくれました。

 

今思うと、女の子(私)に女の子(お店の女性)を選ばせるなんて、私へのモラハラだよなぁと腹が立ってきます。そうやって、女性の見た目で優劣をつけて、カラオケでボディタッチをして気分良くなりたいというおじさんたちの価値観を受け入れろ!と言われたようなものです。自分もそうしたいと思っているメンバーだけならいいかもしれませんが、そう思っていない人を巻き込むのはやめて欲しいなぁとうんざりしました。

 

私が中国に行った数年後、取り締まりが厳しくなり、最近ではこういったお店はだいぶ減ってきたようです。

あの時私が指名した不器用に笑うお姉さんが今頃どうしているのかは分かりませんが、もっと自然に笑えるような環境で暮らしているといいなぁと思いました。

面接と婚活の話

私は現在転職活動中です。

採用の面接に行っては、知らない人を相手に自分の経歴や考え方、会社に入ってやりたいことを伝えています。

企業ごとに対策を練り、辻褄を合わせた説明をするのは非常に骨が折れるのですが、最近一つ気付いたことがあります。

「知らない人の顔を見て話すことには抵抗がない」

 

接客業の方や、営業の方なら当然できることかもしれません。

ですが、私は今まで内勤が多く、初めて会う方といきなりたくさん話をしなければいけないという場面はあまり経験してきませんでした。

相手に見られているという意識があると、うまく話せなくなったり、質問に答えている間に落としどころを見失ったりすることもありました。

しかし、今回の転職にあたり面接に行く中で、クローズドなコミュニケーションでも余裕を持って話せる自分に気付きました。

これは、婚活で出会いの場数を踏んだおかげじゃないかと思うのです。

相手の表情を観察し、何を答えて欲しいのか考えることもできるようになってきました。

これは、あまり自慢できることではありませんが、婚活の思わぬ効果だと思います。

 

面接のノウハウ

婚活で、マッチングした相手と会うことを「面接」と呼んでいる人もいますが、本当にそうだと思います。

私が転職で足りていないのは「相手を納得させる説明スキル」だと思っていますが、婚活で足りないのはどちらかというと「人を見極める力」な気がします。

マッチングアプリのシステム上、女性は求人票を出して、応募者の中からお相手をみつけていくという感覚の人が多いと思うのですが、私の婚活がうまくいかないのは、たぶんそこで何かを間違っているんだと思います。結婚を前提に付き合い始めたはずなのに、実は相手が結婚を現実的に考えられていない…。

思い切ってヘッドハンティングに切り替えるか?それとも、採用の条件やプロセスを見直すべきか。求人票を出す場所を変えるべきか…。

何から見直していけばいいのかさっぱり分かりません。

 

面接のプロと言えば「人事」。

専門家なら何かノウハウを持っているんじゃないかと思って調べたところ、

人事の目線で婚活について考察しているブログをみつけました。

pepe198x.hatenablog.com

一般的に、採用した人が期待通りの能力を持っている確率は50%程度、トップクラスの人事でも70%程度と言われています。(MBA時代のケースを引っ張り出して読みながら)

逆に言うと、人を見るプロが判断しても、3~5割程度の確率ではずれを引いてしまう。いわんや、凡人をや。

はぁ~!プロでもそんな感じなんですね!

素人が簡単に成果が出せるわけないし、婚活で少しミスマッチしたぐらいでめげてはいけないですよね…。

でも、凡人でも成果をあげたいうという気持ちもあります。

何かいい方法はないんでしょうか…?

 

さらに読み進めると

余談ですが、人事のプロを自認する、とある人材コンサルの方は、自社の採用をする際に少なくとも10回以上、しかも出来る限り複数人で面接をするようにしているそうです。

理由を聞いてみたら、人事のプロだからこそ、人間の見極め力には限界があることを知り尽くしているからだそうです。

だから、自分の主観バイアスを避けるためになるべく複数人で面接する。

そして、自分が間違っていたなら、それはそれでしょうがないと後悔しないレベルまで面接を重ねるんだと仰っていたのが凄く印象に残っています。

…なるほど。

自分の見極め力を信頼できていない私には、非常に参考になるアドバイスです。

確かに企業の面接は何回もあるし、面接官が変わっていきます。

婚活でもそれをやれれば何かが変わるのかも? 

お付き合いする前に、自分が信頼している友人や家族、職場の人とお相手を会わせるのってなかなか難しいですが、そういったプロセスがあると、2人だけの狭い世界ではなくて、お互いに今後もイメージできる気がします。

これを実現する方法を考えてみましたが、信頼している人のいるコミュニティでお相手をみつけるのが最善な気がしました。

効率よく相手をみつけたいと思って、母数だけ増やしても難しい…ということなのかな?

 

婚活にしろ、転職にしろ、お互いの期待が外れてしまうのは不幸だなぁと思います。

こういうことは「ご縁だ」ともいいますが、なるべく時間をかけて深いコミュニケーションをして、みんなが幸せになるお相手をみつけていければいいなぁと思いました。

プレゼントの話

JITTERIN'JINNのプレゼントという曲があります。

youtu.be

あなたがわたしにくれたもの キリンが逆立ちしたピアス♪

 

この歌では、「あなた」がくれたものを順番に歌い上げていきます。

随分たくさんのプレゼントをもらっているのですが、そのセレクトがちょっと悲しい。

海外のお土産だったり、お菓子のつまった靴だったり、道で売ってるリングだったり…。

「わたし」の大好きという気持ちに対して、あまりにも軽い。

「あなた」に悪気はないんだろうけど、この曲を聞いているとせつない気持ちでいっぱいになります。

 

私は、プレゼントを選んだり考えたりするのが好きです。

自分の大切な人の事を想像しながら、まだ持ってなさそうで、喜んでもらえそうな物を考えるのは楽しいです。

普段から相手のことを良く見ていないと、絶妙なプレゼントは選べないと思います。

それがハマるとプレゼントした方もめちゃくちゃ嬉しいんですよね。

 

学生の頃、20人ぐらいで誕生日プレゼントを贈り合っていた事がありました。

毎月のように友人のプレゼントを選び、自分の誕生日には20個誕生日プレゼントをもらうわけです。

ちょっとめんどくさい時もありましたが、楽しんでやっていました。

値段合戦になると困るので、事前にだいたいの予算は皆で決めてありました。

20人も同じ人に対してプレゼントを贈るとなると、被らないようにいろいろと考えます。

同じ予算で、同じような店で、同じ時期に何を選ぶのか?

贈り手が相手のことをどんな人だと思っているのか、如実に現れてしまいます。

自分がもらって嬉しいのは、「この人、私の事良く分かってるなぁ~!」と思う物。

鉱物の図鑑、アンティークのグラス、小銭を入れるとにゃあと鳴くぬいぐるみ、ホームセンターで売っているかわいいメジャー、美味しいラーメン屋の本

高価でなくても、流行りものでなくても、珍しいものでなくても、

なんでそれを選んだのかという理由に気持ちがこもっていれば、物を通じたコミュニケーションが生まれると思うんですよね。

 

今年のクリスマスにプレゼントを贈るパートナーは残念ながらいないのですが、

周りの大切な人には、ちょっと気の利いたプレゼントをあげたいと思っています。

今年一年のやり取りを思い返しながら相手の喜ぶものを考える楽しみぐらいは、常に自分の中に持っていたいなぁと思うのです。