祖母の話

祖母が亡くなりました。93歳でした。

1年程前から病院と施設を行ったり来たりしていて、自宅には戻って来れない状態でした。

それでも、亡くなる一週間前までごはんは食べられていたし、死の直前まで意思の疎通もできていたそうです。

最期は子供たちに見守られる中、安らかに息を引き取りました。

 

祖母の青春時代は戦争と共にありました。

女学校では竹槍を持って敵兵を討つ訓練をしたり、「おバケツお回しあそばせ!」と言いながらバケツリレーの練習をしたり。戦地から届いた手紙を配る手伝いもしたそうです。

短大卒業するとすぐに、満州から帰国した軍人さんと、会って四日で見合い結婚

戦争真っただ中で物資も少なく、いろんなものをかき集めて式を執り行ったそうです。

新婚時代の話と言えば空襲のことばかり。焼夷弾が降り注ぐ中、逃げ回ったこともあったとか。

結婚から数年して終戦を迎え、軍人だった祖父は職を失いました。

自衛隊が発足するまでの数年は、祖母の実家で家業の手伝いをしながら細々と暮らしていたそうです。

 

何から何まで今では想像できないような世界です。

戦争という先が見えない不安定な状況でも、子供を産み育て、希望をもって生活していたんだろうなぁと思います。

「会って四日で結婚」というのは衝撃でしたが、お互いを認め合っている夫婦だったと思います。苦楽を共にし、74年も添い遂げるというのはなかなか真似できることではありません。私はおじいちゃん子なので、あんな旦那さんと結婚できた祖母が羨ましいです。

 

祖母とはずっと離れて暮らしていましたが、ここ数年だけ近所に住んでいました。

認知症がだいぶ進行していましたが、ごくたまにピントが合うというか、意識がはっきりしている時があり、そういう時は祖母と楽しく長話をしました。60近く年齢は離れているけれど、まるで女子会みたいな雰囲気で2人で話し込みました。

ある時、祖父との馴れ初めを聞いたことがありました。「惚れたんだか惚れられたんだかね!」と嬉しそうに笑って、詳しいことは教えてもらえませんでしたが、二人はいい関係なんだなぁとニヤニヤしてしまいました。

祖母は、いつも私に「いい人はいないの?そろそろ結婚しないとね。誰か紹介しようか?」と言ってくれました。でも、祖母が紹介できる人は若くても60代なので遠慮させてもらいました。私が彼氏と別れた時は「きっと、もっといい人がみつかるよ。」と励ましてもくれました。

認知症だから、全部忘れちゃうんですけどね。

でも、私の中で一番心に残っている祖母の姿は、その女子会の時の祖母です。

 

いつか、私が向こうの世界に行ったら、また祖母とお茶を飲みながらゆっくり現世の話をしたいと思います。いろんな苦楽を笑い話にして、少しでも面白がってもらえたらいいなぁと思います。

 

おばあちゃん、お疲れさまでした。