『嫌われる勇気』という本を読んだ話

今さらながら、2013年初版の『嫌われる勇気』という本を読みました。

結局、サラッと3回目も読みました

 

普段、自己啓発本はほとんど読まないのですが、空気を読みすぎる私にはこういう勇気が必要な気がして、タイトルに惹かれて読んでみました。

内容は対話形式でアドラー心理学の概要を掴んでいくというもの。

例えが分かりやすくてサクサク読めました。

いままで通ってこなかった分野でしたが、アドラー心理学は私のスタンスに近く、自分の中でまとまっていなかった概念も言語化されていて、読んでいて膝を打つことがたくさんありました。

以下、私のスタンスに近いと思った考え方をいくつかピックアップしてみます。

  • 怒りで相手を支配しようとしない
  • 与えられたものをどう使うか考える
  • 変化を恐れない
  • 人に期待しない
  • 意識上で対等な関係を築く

私は元からこういう考え方だったわけではなく、会社の研修や社会経験の中でこういう考えになっていったのだと思いますが、割り切って考えられるようになってきたことで、自分が楽になってきたのは確かです。

ただ、一般的には極端な思考と認識されることも多く、m-gram診断ではスーパードライに分類されますし、Personality InsightsTwitter分析では「感情の起伏」がとても低く、「変化許容性」が高いという結果になりました。

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「変化を恐れず、感情も出さないスーパードライな人」と聞くと、すごく冷たい人間のようですが、Personality Insightsでは「情に厚く、愛想がよく、利他的で社会的なタイプ」という結果も出ているので、なんとか人様と一緒に仕事はできるレベルだと思いたいです…。

そして、この本は、こんな私でもまだ割り切れていないことがあると教えてくれました。

それが『他者介入』です。

 

他者介入とは?

私が首がもげるほど頷いたフレーズを本から引用します。

およそあらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むことーあるいは自分の課題に土足で踏み込まれることーによって引き起こされます。

全くその通りです。

分かりやすいおせっかいや理不尽な命令なら聞き流せますが、「心配しているんだよ」とか、「期待しているからね」とか、パッと聞いた感じでは私の為を思っているような言葉を並べながら、私の課題に土足で踏み込んできた人が今までどれだけいたかに気付かされました。

 

先ほど、私の仕事でのスタンスとして、「人に期待しない」ということをあげましたが、逆に自分が期待された時には「せっかく期待してくれているのだから、期待に応えるべきなのかな?」と悩んだりして、苦しい気持ちになっていたのだなぁと思いました。

 

 

「先輩が心配していたから、オマエももっと残業してやる気を見せろよ」と言ってきた同期とか

「贔屓にしてきたんだから、そろそろ期待に応えてもらわないとな」と言ってきた上司とか

「その人との結婚は親として認めたくないから、結婚したいなら説得する義務があるでしょう」と言ってきた親とか

「今までの経験がもったいないから、職種は変えないで探すべき。でも紹介できそうな求人がなくてごめんなさい。」と言ってきたハローワークの人とか

全部まとめて「うるせぇ~!!」と私の記憶から抹消できそうです。

 

「心配」も「期待」も、している側の課題であって、されている側が気にする問題ではないと、この本では説いています。

その気持ちの処理は本人がすべきで、気持ちの責任をこちらに押し付けるのはどうなんだろう?と私も常々思ってきました。

勝手に期待して、勝手に心配して、それでこちらの行動を制限するのは違うと思います。

私がいままでひっかかってきたいろいろな言葉の大半が他者介入によるものだったこと、私が解決すべき問題ではなかったことに納得がいき、雲が晴れたような気持になりました。

私自身も、心配しておせっかいを焼いたり、人に期待をすることはあります。

けれども、「見返りは求めてはいけない」と思ってきたし、「私がやりたくて勝手にやっていることだから…」という意識は常にもってきました。

見返りや期待に応えてくれるようなことがなかったとしても、自分が気持ち良くやってあげられる範囲でしか人の為に動いてこなかったとも言えます。

周りの人にもこの考え方を押し付ける気はありませんが、これからモヤッとしたときに、「これは他者介入だな…」と頭のなかで整理できれば、いちいち気にしなくて済むなぁと思いました。

 

他者介入をしてくる人とどう付き合っていくか?

現在、私は、会社を辞めて仕事を探している状況なので、勝手に同情されたり、求めていないアドバイスを受けたり、下に見られることはたくさんあります。

知らなかった情報や、私では思いつかなかった選択種を教えてもらえるのはありがたいですが、私のことや状況を良く知りもしないで、思い込みで強い言葉を使ってくる人も中にはいます。

「○○すべきだ!」「○○しないと××になるぞ!」「なんで○○しないの?」などなど…。

そういう事をいう人は、本人が現状に満足していない場合が多いんじゃないかなぁと感じています。

だから、自分の悩みやモヤモヤを、私という「現在弱い立場にいる人間」に投影しているのでしょうね。

そういう人とは距離を置く。時間を置く。

これが社会人数年をかけて、私がやっと得た処世術です。

 

相手は変えられない、自分を変えることはできる。

新人の頃聞いた時は、相手が間違っているなら自分は変わる必要はないんじゃないかな?と思っていたのですが、今改めて読み返してみると、なかなか力強く希望のある言葉だと感じます。

願わくば、変えられることと変えられないことをきちんと見極める賢さを身に付けながら、年を取っていきたいなぁと思うのです。